人生の目的、それは幸せになること

人生の目的は”幸せになること”。
”幸せ”とは自らが決めて目指すもの、感じるものである。
ゴールは自分で決めなければ意味がない。

上記は最近、ある方に教えてもらった言葉です。

私たちは普通、周囲の期待や願望、そして周囲の方の現実を
無意識の内に自分の中に刷り込まされています。

それが良いものなのか悪いものなのかは一切関係なく。

でも、自分の幸せを自分で決めるって
意外と意識しないとできないことなのかもしれない。

今思えば、小さい頃から父親から教え込まれてきた常識があった。

1つ目は国立大学へ行くこと。

父親は高校卒業と同時に大企業へ就職した。
ただ、金銭的な理由から就職へ決めたらしい。
本当は大学へ行きたかったらしい。
そして、きっと就職してからも大企業だから
大学卒業者と高校卒業者の壁を感じていたに違いない。

だから、高校に入った頃から国立大学へ行くことの意義を
熱心に兄と私に言ってきた。

結果、私は夜間主コースだけれど、国立大学へ行けた。
ちなみに、普通に昼間を受験をしたけれど落ちてしまい
二次募集の夜間主に応募してみたら
定員割れでたまたま合格できただけなのです。

受験に落ちるまで、夜間主コースのことなんて知らなかった。
でも、夜間主コースに行けたことはとても良かったと思う。

普通の人が体験出来ない環境にいれたのだから。
夕方から学ぶっていう環境も楽しかったし。

もう一つ、親から教え込まれてきた常識がある。

2つ目は結婚。

残念ながら私の家は主に金銭的な理由から両親は
私が20歳のときに離婚している。

でも、父親は家はこんな状況だったけれども
本来は結婚はとても良いことなのだと私に語っていた。

まだ私は結婚していないけれど、結婚は良いものだと
父親は私に説得?めいたものを力説していた。
きっと、離婚したことなどに対する負い目もあったのだろう。

今、思い付くものを2つ挙げてみたけれど
きっと他にもものすごくたくさん刷り込まれてきた常識はあるのだろう。

でも、思う。

今の時代に国立大学へ行くことと結婚することは
本当に幸せになるために必要なことなのだろうか?と。
その他の常識は本当に必要なもの?

ある人にとってはきっと必要なのだろう。
でも、様々は価値観が認められはじめている今の日本だったら
必ずしも必要なものではないのではないだろうか。

だからこそ、本当にそれが必要なのかどうかは
自分の頭で考える必要がある。

そして、それが幸せだと思ったのなら手に入れる。
不要だと思ったなら、手に入れなくてもいい。

もし、分からないんだったら、私は手に入れた方がいいと思っている。
手に入れることで分かる現実があると思うから。

でも、大事なことは自分の幸せは自分で決めることだと知った。