自信のなさと心の扉

いつの頃からだろう。
誰かに遠慮しながら行動してきたのは。

思い返すと、物心ついたころから誰かの顔色を
窺ってきたような気がする。
わがままに振る舞っているときでさえも。

あまりにも小さな頃からの行動だから、無意識だ。...
でも、時々ものすごく頑固になる時がある。

それは決まって自分を否定された時だ。

自分を否定された後に言われた言葉はほとんどの場合
その場では納得できない。
心の中で反論している。きっと表情にも出ているのだろう。

後で納得することもある。けれど、きっとそれは
じっくりと時間を置いて考えたからこそ、わかるのだろう。

でも、自分を否定されるような発言があった時は
自分を守るために本能的に拒絶してしまうのだ。

どんなに"いい事"を言ったって相手に伝わらなければ意味はない
心の扉が閉じている時にどんな"いい話"をされたって
全く心に響かない。

これをきちんと分かって、会話を出来ている人って
どのくらいいるのだろう。

少なくとも、今の私には出来ていないことだと思う。
何かあると自分でもビックリするくらい
すぐに心の扉が閉じてしまうのだから。

だから、羨ましく思う。
誰かの視線を気にせずに自分が思っていることを
ズバズバと言える人が。

そして、苦手だとも思う。
私と全く違った人種なのだから。

でも、誤解して欲しくないのだけれど
苦手な人=嫌いな人
という事では決して"ない"

苦手だけれど、惹かれてしまう人が何故かいる。
私にとっては不思議な存在だ。

なんで、あんなに自信を持っているのだろう。
人の視線が全く気にならないのであろうか。

でも、同時に人の視線を気にしている自分がイヤになる時がある。
もっと自由に人の目を気にせずに思ったことを
発言したいのに。行動したいのに。

相手が大切な人であればある程もし私が変な行動をとったら
嫌われてしまうのではないのだろうかという恐怖があるのだろうか
怒られてしまうという恐怖があるのだろうか。

頭ではわかっている。そんなことは些細なことだと。
もっと自由に好きなように行動した方がいいんじゃないかと。

でも、勇気がなくて踏み出せない。

そして、今のままでも十分な恩恵を受けているから、
今より悪化するのが怖いのだ。

もし、否定されたら、それでも自分を主張できるような気がしない
反対されたら、その反論に納得してしまいそうだから。

きっと、反対されるであろう言葉は自分の中にもあって
自分が矛盾した気持ちを抱えているから
余計に身動きが取れなくなっている。

だから、本心を言えない。行動できない。
言おうとするけれど、踏みとどまってしまう。

これは自信のなさの表れなのだろうか?

もっと強くなりたい。自由に生きたい。